2023年3月21日火曜日

まだ見ぬ春

2月25日に学生時代からの女友達が亡くなった。40年近い交友という人生のクロスロードで確かに存在していた。ありがとう。

今年も桜が咲いている。また、我が世の春は盛りの人も多くいるだろう。

ただ、春を見ずに亡くなる人も同様に多くいる。春は出会いと別れの季節でもあり、桜の花がハラハラと散っていくのは何か物寂しい思いが横切る。

まだ見ぬ春を求めて「存在する」生きとし生けるもの全てに輝かしい瞬間が訪れんことを。


2023年1月22日日曜日

遠くに見えるもの。

 


 銀座は古くて、新しい。最先端のブランド、ハイソサイエティの雰囲気を求めて集まる内外の訪問客。飛び交う言葉も、さまざまだ。銀座、常にバージョンアップされ、総体として発展し続けるメトロポリス。そしてそこを行き交う人は、誰も誇らしげで「晴れ」の日、時間を楽しむようだ。

みゆき通りは、銀座のそんな「晴れ」の空間、時間からは、やや引いて日常的な空間、時間がちょうど交錯するところ。そんなみゆき通りのさらに奥の小道を覗き込む。メトロポリタンはそこにはない。周縁にある小道に見えるのは、果たして過去か、未来か?


2023年1月17日火曜日

暗い道の向こうに、


 カメラの性能が上がり、暗い道を撮ったつもりが、明るい道となっている。目に見えてなかったものでも違う感度や暗視ゴーグルなどを使うと見える、見えてしまうということだろう。

VRやARは仮想空間、拡張空間をもたらす技術で、自然な視界の認識に留まらず、嗅覚、触覚までひとからげにして人間の認知の限界を広げていく。その広がった先から振り返るとこの今の世界がある意味、自然光では暗くて見えない世界ということになるのだろう。

 さらに、今後AIの活用によっては、思考や思索、調査や判断まで置き換わっていく可能性も高い。そしてそれは便利なもの、人間の能力を補完するものとして、発展し続けるのだろう。

 暗い道の向こうは輝かしい世界が広がるはず、というのは楽観的すぎる。暗い道から想像力を働かせて、見えないものを見ようとするプロセスや想像力を捨ててはならない。


2023年1月14日土曜日

揺るぎない日常-Part 2




 還暦を迎えて、時間の過ぎるスピードがさらに速くなるってことがあるのか。年末が誕生日なので、還暦後の一年間を過ごした感想となる。忙しさを分解すると、インプットとアウトプット、処理の複雑さ、頻度・件数ということになる。また、非未経験による試行錯誤というファクターもあるのだろう。

揺るぎない日常を作っていくためには、こういった全てのことを体系化し、整理していくことが大切で、そのためにフレームワークが不可欠なものとなる。新しく会社を設立し、社内との接点を大きく再編成するとともに、多くのインプット、アウトプット、処理を再設計し、綺麗な流れに仕立て直すこと。

揺るぎない日常は、一つ一つのアクション、一瞬一瞬の判断、それらの蓄積と大きな視座から成り立っている。

2012年3月18日日曜日

予定調和-四つの基点

人生の半ばを過ぎると解ってくることもある。人はなぜ生まれ、なぜ生き、そして死ぬのか。何を求め、何を残すのか。意味、意義、理由、そして不可知なことそのものとの向き合い方。

このような自然な希求とそれによってもたらされる知恵に対する普遍的な解釈は自己とその周りの「聖なる元素」と感謝に基づいた関係を気づくことでより確かに形成される。そしてこの気づきによってこそ、必要なプロセスを起動させ、絶対的な存在により近づくことができる。

普遍的な解釈を進化につなげる「四つの基点」に注意を向け、強化すること。

1.肉体そのもの、そして自分と肉体との関係を育み強化する
2.自分と自己の真実との関係、自分と他者との率直な関係を意識し、それを強化する
3.自分と仕事・社会との関係、自分と奉仕の機会との関係を強化する
4.自分と、肉体や地球の現実全体を構成する「聖なる元素」との関係を強化する

聖なる元素:土、火、水、気(空間)

2011年5月8日日曜日

最高次の表出の選択

ある一つの出来事をどのように体験するかの選択はこれから先の運命を決定づける。また、過去の出来事の意味付けをも含め、主体的な選択肢は自らの内側にある。
地球レベルでの振動が活性化し、それに人も動物も植物も不可避的に影響を受け、おのずから変容を余儀なくされている。変容に慣れていない固着部分がストレスの要因となっている。


こういう外側に現実に起きている出来事に十分な意識をもって、自分の感情反応に気づくこと。この気づきは、外的状況は変えられないにしても内的反応を変えることのスタートになる。

内的反応を変えて外的世界への「思いやり」をもつことによって、運命の展開の軸足を乗せる支点ができる。そして、その結果幅広い体験の選択肢から、より壮大なレベルの気づきと選択、もっと高次の共鳴振動が可能となる。

2011年1月30日日曜日

意識の意識

 時空が存在しなければ物質は存在しえない。物質が存在する時空は重力場となる。重力場(ポタンシャル場)は物質が機能する生命を誕生させる。そして意識(存在と時間)が生まれる。 
 丹羽文雄さん(浄土真宗専修時高田派)は、小説「菩提樹」で意識が存在しなければ、意識の意識 は存在しない。意識の意識が存在すると、意識は本能といえる仏性浄土を願う心の心である自然科学的真理とは異なる、宗教的真理に迫ると説明している。

 意識の意識が存在しなければ、物質の物質は存在しない。物質の物質が存在すると意識の意識は生命の生命の遺伝子を存在させる。

2010年12月19日日曜日

支点

進化と成長を加速させる時代において、より短い「時計時間」の中でより多くの気づきを体験する。これは、激しい感情反応ないしは反動を生む。この経験を高次意識にいたるプロセスとしてとらえ、つまり、意識の持ちようを非二元的な静止点から二元性へ移行させることによってバランスさせる。

このメカニズムとしての「支点」を理解することによって、自らのもつエネルギーの統御という課題を克服し、ポジティブな状態に自分を調整することができる。

また、この支点を理解することによって、外的な加速をレバレッジとして内的進化と成長への力として転位できる。

2010年10月17日日曜日

念ずれば花ひらく

 この言葉に出会ったのは昨年の10月12日、そしてこの写真は一年後の今年の10月3日(この石碑の持ち主も自分と同じ苗字という偶然)。

 仕事環境も方向感を失い、革新的なことに取り組めないことからくる閉塞感も漂っていたが、経験の蓄積もあり、精神的な安定や絶対的な自信は崩れることはなかった。

 一年間に2度の戦略部署の部長を経験することにもなり、まさに「念ずれば花ひらく」のとおりである。必要な時に必要なこと、必要な言葉が現れるという体験も積み重なり、確信的なものになっている。

☆☆ 進化の本質 ☆☆

1.レプリケーター

レプリケーターは、自己複製が長けているものはどんどんそれを押し進め、あまり得意でないものはせめる。

遺伝子:生物(物理的・ハードウェア)の進化のキー
ミーム:心(精神的・ソフトウェア)

2.マインド・ウィルスの3要素

・進入の手段
・正確な複製法
・他の人の心に伝達する方法
 
3.コントロール

 時間のスケールが遺伝子とは全く異なる時間のスケールで進み、とてつもない速さで進行していく。ミームの進化を人類や地球上の生物などにとって利益となるようコントロールしたければ、私たちはミーム進化に敢然と立ち向かわなければならない。

「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス:オックスフォード大生物学者(1976年)

2010年9月20日月曜日

事随心

事随心

事は心に随う

心の在り方が、事々の在り方を決める、または事は心の在り方に由り、自然と決まってくる。

心の在り様について ‐ 対比

高・低、動・静、顕・隠、正・邪、正・負、強・弱、優・劣、有・無

心の定義もしてきたが、心・意・識の一つのフェーズとして、また、アスペクトとしての在り方があり、それがさらに形而上的な「事」つまり「現」および「顕」の在り方にも必然に近い規定をもたらすことがある。

自らの心の在り方を対比によって、よくよく自浄することが必要となる。

2010年9月5日日曜日

釈尊の教え

道人の道を行ずるには、当に本を念ずべし。何等をか本と為す。謂く、心・意・識を是を本となす。この三事皆見えず。生じ己って便ち滅し、本の意は優に生ぜず。是の意を得るを是を道と為す。本の意が己に滅すれば、痛みは無くなる。更に因縁の生ずることあらば便ち断つ。

仏に六潔意あり。謂く、数息、相随、止、観、還、浄なり。この六事は能く無形を制す。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

心の世界、意識の世界、無意識の世界という相互に一体化し、出入りがある世界の体系。これの中で自己という境界があるものを認識しつつも合一化させるプロセスおよび結果が「悟」ということになる。悟りが自分から離れていないかということは「心」と「意識」の世界の葛藤であり、この葛藤自体も忘れ去り、唯在ることに在るということが悟の姿である。無形を制すとは、即ち形のないものと一体になるということ。

2010年9月4日土曜日

位相

 現在の自分の位相を感じること。想定通りに進化しているか、時間価値の無限なる大きさに気がついているか、狭いビジョンに留まり息苦しくなっていないか。

 瞑想および超越へのプラクティスから離れていないか、自分自身が誰であるのかを思い出すことから逃げていないか。

 光明が現れ、世を照らすことに疑いを抱いていないか。

2010年3月28日日曜日

弓を引く8つの動作


足踏み:正しく足場を固める

胴造り:重心をしっかりと中心に置き弦の位置と矢の方向を確認し、息を整える

弓構え:的をしっかりと見定めて弓を構えようとする

打起し:弓構えの位置からそのまま静かに両拳を額の上に上げる

引分け:左右均等に力を入れ打起しの位置から弓を引く

会:力を入れすぎず最も弓を張った状態にする

離れ:胸を広く開いて矢を発する

残心:矢を発し、姿勢を変えず矢の行き先を中止する

2010年3月21日日曜日

書くということ

 20年来使い続けているシステム手帳に書き留めておいた「言葉」の整理。体系的なものには程遠いが、過去の認識を追認し、再度書き直すことにより判ることも多い。

1.自己とは何かという認識(Sein から Sollen へ)
牛が逃げたと自覚した人は、牛を探し求めざるを得ない。ソクラテスの「無知の知」、西田幾多郎の「善の研究」

2.真理に到達する4つの段階

 ① 良き師(善知識)に出会う
 ② 教えを正しく聞く(正聞)
 ③ 聞いたことを理に従って考える(如理作意)
 ④ 真理に到達する(涅槃と菩提)

3.第三の眼 - 肉体と心とをいわば止揚した何ものかが真理を見る 自分自身を見る

 肉眼(にくげん)、天眼(てんげん)、慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)、仏眼(ぶつげん)

4.念(ねん)・定(じょう)・慧(え)の心

 Yoga ヨーガ      分離した身体・心を結びつける
    ↓           息に自分自身がなりきる
 止・観の二つの心           ↓

 息という自分の一部を通じて、自分に遍満する宇宙の真理に到ることができる

5.貪(どん)・瞋(しん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見

 貪:むざぼり 瞋:いかり 癡:ほうけ 三毒 6つの根本煩悩
 20の随煩悩

6.種子

 名言種子(みょうごんしゅうじ) - ことば
 業種子(ごうしゅうじ) -未来世 阿頼耶識
 本有種子(ほんぬしゅうじ)
 新薫種子(しんくんしゅうじ)

2010年3月7日日曜日

パラダイム・シフト

 釈迦は「シンサパーの葉」を数枚手にとって、世の中にはこの森全体の葉の数よりも多い葉があるが、我々が知っていることはこれだけである、と言って数枚の葉を見せた。現代ではケン・ウィルバーはホロンの階層には上にも下にも無限に続いていると言っている。時間は「始まりが無く、終りも無い」あるのは「今」だけで、過去も未来も永遠なのです。
 これから起きるであろう巨大なパラダイム・シフトは、古いパラダイムを否定せず、そのまま認め、従来のパラダイムを包含しながら、それとは全く異なる別世界に新しい枠組みを構成する形で出てきている。そのため革命の必要もなく、古いパラダイムを否定する必要もない。従って戦争、流血騒ぎを起こす必要はない。しかし、心なき人達は流血を起こしたがる。また、古いパラダイムの人は新しいパラダイムを恐れて、自己防衛のため、戦争をしかけてくる場合も考えられる。

 なぜこのような巨大なパラダイム・シフトが進行するのか。その理由は人間が進化・変容しているからである。人間の精神的構造が変わり、今とは異なる精神を持ち、考え方の違う人間が多数を占めるようになるはずである。どのように進化するのか、その分析は、今の学問体系ではトランスパーソナル心理学という分野に展開されている。その代表格の論客がケン・ウィルバーである。
 マズローは、人間性心理学を創設し、欲求5段階説を唱えた。生理的欲求から、最高の自己実現の上に自己超越欲求を加えた。ケン・ウィルバーは「アートマン・プロジェクト」で、人間の精神的成長の過程を分析した。そして、自己超越をしたレベル、即ちトランスパーソナルのレベルの最終にアートマンを据えた。人間の一生は自己超越を達成し、最終目標のアートマンを目指して進むことにあると解釈できる。これからの世界はトランスパーソナルのレベルに到達する人間が植えるということで、そうすればパラダイムは完全に変わってくる。これが巨大なパラダイム・シフトである。

 巨大なパラダイム・シフトの時代には、常に、反逆者、犯罪人、異常者等が多発し、それが目につく現象となる。しかし、世の中の趨勢はそれらの厄介者を背負い込みながら、深く、静かに、確実にパラダイム・シフトを進行させている。 

2010年3月5日金曜日

科学と宗教の統合

微細魂レベル、菩薩レベルの道徳には特徴として、一切衆生のために悟りを得ようという深い志が含まれる。魂の深みから自然に湧き起こってくるこの並みはずれた志は、一切衆生が神なるものの直接的顕現であり、それゆえ自らの<存在>のもっとも深い部分、大いなる自己として過ごすべきだという認識の成熟に基づいている。

元因霊レベル、賢人レベルの道徳は、あらゆる存在は常にすでに永遠に自由であると悟ることによって、一切衆生を開放したいという逆説的な大志を含む。このようなすべての顕現の根本的に自己解放的な性質を直接的に認識することが霊的科学のもっとも崇高な(そして逆説的な)部分を背後で支えており、<スピリット>の時間を超越した自由な性質を自己確認的に立証するものになっている。

2010年2月27日土曜日

自心・仏心・如来心












真言宗東覚寺 門前の言葉(2月21日)

自心を知るは即ち仏心を知る
仏心を知るは即ち衆生の心を知る
衆生の心は即ち如来の心
この三心 平等を知るのが大悟

2010年2月21日日曜日

西郷隆盛像 政の大体


2010年2月21日(日) 谷中七福神を訪ねる小旅行を思い立つ。田端駅から七福神を順次見て回り、そして最後に上野恩賜公園の西郷隆盛像に辿り着く。

昨年4月より「敬天愛人」との西郷南洲翁の座右を拝借し、ブログを開始してから、翁の足跡をたどるための鹿児島旅行を試みるもまだ果たせずにいた。今回は当初の想定にはなかったが、小旅行の最後に西郷像を拝むことになったのも何かの奇遇か。

(南洲翁遺訓より)
政の大体*は文を興し武を振い農を励ますの三つに在り、その他百般の事務は皆この三つの物を助るの具なり。この三つの物の中に於いて、時に従い勢に因り施行先後の順序は有れど、この三つの物を後にして他を先にする更になし。

大体*:本質











敬天愛人 西郷隆盛と銅像の由来

西郷隆盛は文政十年(1827年)12月7日薩摩藩士として鹿児島治屋町に生まれた。通称吉之助、南州はその号である。
若くして薩摩藩主島津斉彬に重用され、幕末内外多難の際、大いに国事に奔走したが、これに関連して奄美大島に流されること2回。
元治元年(1864年)許されて京都に上るや、朝廷の意を重んじて一旦は長州を敵としたが、後、木戸孝允と謀って薩長連合を結成し、慶応3年(1867年)12月ついに王政復古の大業を成就、その後も官軍の参謀として、大功を樹て、明治維新の基礎を確立した。
その間、高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟の請を容れて江戸城の無血開場を実現、江戸を戦禍から救ったことはあまりにも有名である。その後は、故郷に隠遁したが、明治4年(1871年)正月、三条実美以下新政府首脳の懇請を受けて上京、参議に就任し、廃藩置県その他近代国家建設のための主導的役割を果たした。
然るに、明治6年6月いわゆる征韓論が閣議に上るや断固反対して、大使派遣による平和的修交を主張し、内治優先論を固執する岩倉具視、大久保利通等の反対に敗れて辞官帰郷。私学等を興して後年青年の育成に努めた。
明治10年2月当局者の謀に激した私学校生徒に推せられて西南の役となり、転戦7ヶ月余り、ついに敗れて城山に自刃した。9月24日享年51才。
そのため一時逆賊とされたが、明治22年2月、明治天皇の特旨により賊名を除かれ、正三位を追贈された。
この銅像はこれに感激した隆盛の旧友、吉井友美が同志と共に追慕の情を表すべく建立を計画したものであり、御下賜金のほか有志2万5千人の醵金を得て、明治26年起工、同30年竣工、我が国彫刻界の巨匠高村光雲の作である。
西郷隆盛の偉大な功業は、その信条たる敬天愛人の精神に発した仁愛と至誠没我の所産であり、日本の代表的偉人として今なお敬慕される所以は実にここにあるのである。

2010年2月18日木曜日

変容

生態系の、経済の、そして金融の危機的な問題は、世界の変容を必要とする決定的に重要な要素であるが、それらはすべてそれに対応する人間の意識の集団的変容の上に築かれるということを忘れないようにしたい。地球的な包容、多元的な世界連合は、普遍的、地球的なビジョン・ロジックを持った個人によってのみ、展望され、理解され、実行されうる。
そこで欠乏しているとされるのは、物質-経済的な不足だけではない。そうではなくて、そこでは人生の意味が、もはや自己、部族、人種、国家の中には見出すことができないのである。そこでは生存のために苦闘し、より深い、より真実な明日を望んでいる非常に小さな惑星の心臓の鼓動が伝わり、共通の人間性という血が流れる世界中心的な包容のなかに、そのコンテキスト、セラピア、オメガが解放を発見することに人生の意味が見出されるのである。
個人の発達で、一定の段階に達した時点では、「無形」のものへの急激な跳躍(エッグハルトの言う「突破」)がいつでも起こりうる。発達が高次に達するにつれて、跳躍はよりたやすく、起こりやすいものとなる。しかし、「無形」のものそれ自体は、跳躍の結果でもなければ、それによって現れるものでもない。それは、今、ここに、最初から、「本来の面目」としてビッグバン以前の顔として、あったのである。その顔は、すべての宇宙の一切の衆生からお互いに、単なる自己認識としてでなく、大いなる「自己」をお互いの中に認識するために見守っているのである。
空性として留まり、形態を包容する。真の開放は空性のなかにあり、決して形あるもののなかにはない。(もっとも二つは決して離れたことはないが)。こうして私が例えば突然、終わりなき形あるものの道を離れて、形ないものに自己を見出し、最高善(スムムボヌム)を実現したとしても、それでも、それでも形あるものは、心霊へ、微妙へ、そして何億とあるつねに、つねに獲得可能な形ある宇宙へと続いていく、止むことなく、終わることなく、劇的に。

2010年2月6日土曜日

死にいたる病

キリスト者だけが、死にいたる病の何かを知っている。
人間が自己であり、自分自身にかかわる関係であるというのは、人間が一つの統合であるからである。それは無限と有限、時間と永遠、自由と必然の統合である。また、死にいたる病とは絶望であるとキルケゴールは書く。

この自己の必然の統合を現実的なものとしてとらえることは通常では困難であり、人は絶望と同義となる五蘊盛苦(ごうんじょうく)や四苦八苦の認識世界からは逃れ難い。さらに、死を選ぶ根拠がその理由如何やその規定如何によってどのように表現されようとも「絶望」ということとして説明される。

神のもとに存在の秩序を保ち、おのおのの人間が個別的な人間であることを意識する、そして「我思う、ゆえに我あり」とする。そのキリスト者としての我は、すでに死すら恐れないということ。
アプローチがキリスト=神から「許され」、それを知るキリスト者となることで生たる人の悩み=絶望の開放ができるということ。仏教の悟りから死を超越するというアプローチとは逆であるが、結果は同じことにつながるということだろう。

(四苦八苦)
生 老 病 死
愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五蘊盛苦
(五蘊盛苦)

自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで苦しみが次から次へと湧き上がってくること。

○色(しき) =すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であることために起こる苦しみ
○受(しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
○想(そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
○行(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
○識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能

2010年1月31日日曜日

西郷南洲遺訓

万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を努め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行なはれ難し。
租税を薄くして民を裕にするは即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐げぬもの也。
会計出納は制度の由って立つ所、百般の事業皆これより生じ、経綸中の枢要なれば、慎まずばならぬ也。その大体を申さば、入るを量りて出ずるを制するの外、更に他の術数なし。
節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決してあらず。西洋各国同然なり。上に立つ者下に臨みて利を争い義を忘るる時は、下皆これに倣ひ、人忽ち財利に趨る。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ也。

2010年1月24日日曜日

自己の変容


 瞑想とはエネルギーの真髄である。このエネルギーは葛藤ありとあらゆる不必要な思考、感情的な追求、感情的な行動によって消耗されている。エネルギーは<私>と<私でないもの>という二元性、観察者と観察されるもの、思考者と思考の分離という二元性の中で起こる葛藤に使われてしまう。 
 この浪費浪費が完全になくなった時に「気づき」と呼べる、あるエネルギーの質があります。
 気づき―それは、評価も判断も非難も比較もなく、ただ注意深く観察すること。内と外のものを過去である思考の干渉なしにありのままに正確に見ることです。


クリシュナムルティ対話集

2010年1月19日火曜日

意識


 人間として生きる=「存在すること」と「行動すること」の各プロセスにおいて、「意識」と「無意識」は重層的に人生に影響を与え、また、他の人間との関係においても相互作用的に機能する。
 「存在する」というレベルでは、逆説的に「意識」は働かない方が恒常性を維持できるかもしれない。世代間を主として存続する生物としての生命維持の機構は、主として無意識として機能しているということもある。「行動する」というレベルでは、無意識に行動するという表現もあるが、意識が格段に機能していなければ統合的には失調に陥ってしまう。また、人と人との関係においても「意識」的に限らず、「無意識」的にもお互いの思いが伝わったり、理解につながるということも多い。
 このように表現される意識・無意識とは何か整理してみる。仏教の唯識思想、「唯識三十頌」では、前五識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)という意識のほかに無意識とも解釈できる末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という深層意識層を想定した。(八識説)http://bit.ly/63xMSq (Wikipedia 無意識とは)
 意識しているとは、「私自身が意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解されるもの」として、自我と同一視されている。この「自明的」というのが、何をどう客観的に定義できるのかが堂々巡りの出発点となる。私を私として定義するのが私の意識・自我ということであれば、ぐにゃぐにゃな物差しで物差し自身を測らなければならないという困難に直面する。

 さらに問題を難しくするのは、定義できない「意識」のさらに周縁部にとらえどころのない「無意識」があり、また、それが深層では「個人的無意識」と「集合的無意識」によって形成されているということだ。フロイトやユングの理論における「無意識」は「意識」すら明確に定義できない中では、参考となる考え方というにすぎない。この潤沢な曖昧性において、宗教や哲学が活躍するなかでの余地があったわけである。

 人知を超える理解および証明不能の事象をとらえるとき、人は藁にもすがるというか、それ以外には解はないとしての「神」の存在を持ち出してくる。そうでなければ、自分の中に「仏性」を見出そうとし、悟りを求める。
 結局は、「知らないということを知っている私は、知らないということも知らないという他者よりもすぐれている」というソクラテスの「無知の知」のパラドックスから抜け出ることはできないということか。ただし、神学者や仏教者の想定する「神」や「無の悟り」が実際にあって、それを把握できるチャンスはないわけではない。人はいずれ死ぬが、その際に「意識」・「無意識」すらもなくなり、「集合的無意識」に実体のない存在として触れることがあるか、ということだ。これもやはり証明は難しい。

2010年1月17日日曜日

十牛図 - Ten Cow Map


悟りのそれぞれの発展段階を牛と人との関係において絵として表現している「十牛図」。悟りとは一定の状態を保てるわけではない。

1.尋牛(じんぎゅう)
牛が逃げているとは、なぜ牛が逃げたのか。なぜ牛を探し求めなければならないのか。なぜ一人で牛を捜すのか。

2.見跡(けんせき)
牛の足跡とは何か。言葉の奴隷となるな。中を見る。

3.見牛(けんぎゅう)
何が見えるのか。牛が隠れているとは。

4.得牛(とくぎゅう)
牛をつかまえる綱とは何か。牛が暴れているとは。

5.牧牛(ぼくぎゅう)
荒牛をならすとは。

6.騎牛帰家(きぎゅうきけ)
牛にまたがっているとは。楽しげに笛を吹いているとは。

7.忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)
牛がいなくなったとは。のんびりうたた寝しているとは。

8.人牛倶忘(じんぎゅうくぼう)
なぜ空一円に飛躍する必要があるのか。空一円相とは。

9.返本還源(へんぽんげんげん)
自然に生きるとは。

10.入てん天垂手(にってんすいしゅ)
人を愛するとは。

http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_46.htm (服部健治さんのWebサイト)

2010年1月8日金曜日

ホロン - Holon


部分であるが全体としての性質を持ち、上下のヒエラルキーと調和し、機能する単位。全体を構成する要素がそれ自体、全体としての構造を持つ場合の、要素(部分)としてのひとつの全体。「全体子」とも言う。例えば、人体という全体を構成する要素(部分)である細胞も、各々の全体としての構造、機能をもっており、ホロンであると言える。
☆☆ 12の原則 ☆☆
1.リアリティを構成するのは、モノでもプロセスでもなく、ホロンである。
2.ホロンは四つの基本的な力を持っている。自己保存、自己適応、自己超越および自己分解の力である。
3.ホロンは発生する。
4.ホロンはホロン階層的に発生する。
5.発生したホロンは先行するホロンを超越し、包括する。
6.低位のホロンは高位のホロンの可能性を定め、高位のホロンは低位のホロンの確率性を定める。
7.階層が包含するレベルの数が、深いか浅いかを決定する。そして所与のレベルにおけるホロンの数を幅(スパン)という。
8.連続的に発生する進化は、より深い深度と、より狭い幅を持つ。
9.どのレベルのホロンを消去しても、それより上のホロンはすべて消去され、それより下のホロンは消去されない。
10.ホロン階層は、共進化する。
11.ミクロは、深度のあらゆるレベルでマクロと相関的な交換を行う。
12.進化は方向を持つ。
Ken Wilber 「進化の構造」 http://bit.ly/7feQA2

2010年1月1日金曜日

創造


万事生成消滅のプロセスと自律的・不可逆的コントロール。地球の自転や引力などの大きな力。それをどのようなことか理解し意味づけることの大切さ。

創造の輝きに沿って自然に生きよう。Seer(鑑賞者)としての素質をさらに磨いていこう。
身の周りのことから本質的なことまで、草木の生育から月や星の動きまで。「陰」と「陽」の意識。感謝と行動。

2009年12月24日木曜日

熱力学第二法則


エントロピーは増大する。宇宙に広がるありとあらゆる物質は絶対静止・平衡にむかって不可避なプロセスを進んでいる。

宇宙はなぜ存在するのか、そこに意思があるのか。極々微小の確率で成り立つ陽子の質量と電子の質量およびその距離のバランス。質量が大きすぎると重力で潰れ、軽すぎると電子を捕捉できず崩壊してしまう。不思議な試行錯誤と確率で存在することになったこの物質の宇宙。

エントロピーの増大の中で生物はなぜ生まれ、形を造り、エントロピーの増大の熱力学法則に対抗できるのか。エントロピーの増大を上回る速度の代謝と自己複製。そのカギとなる細胞内のミトコンドリアはもともと異物として存在しつつ、細胞内に取り込まれ、この代謝の主役となっているという。 

エネルギー総量不変の熱力学第一法則と第二法則の間で、すべての摂理と運命がバランスをとっているということなのだろう。

2009年12月13日日曜日

時間


時間の流れ、速さの認識。今年もあっという間に過ぎ去り、年末となった。

「大人の時間」と「子供の時間」の速さの差。人生の長さとの相対比較で、大人の一年は子供の一年より短いからだとか、また、すべきことや出来事が大人の方が多様・多端にあり、Concentrationが必要なため意識として時間認識が曖昧になるからだとかいわれている。

福岡伸一先生の説(「動的平衡」)によると、人間の新陳代謝速度は加齢とともに確実に遅くなり、体内時計の運針が徐々に遅くなっているから、外界標準時間の進みが相対的に速くなっていくという。

いずれにせよ、歳とともに時間の過ぎるのが速くなるということに異論を唱える人がいないようだ。そんな速くなっていく時間をいとおしんでいきたい。ゆっくりと、ゆっくりと。

2009年12月8日火曜日

只管打座


道元禅師の後ろ姿が見えるような時・場

 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり

人が人として、なぜ生まれ、なぜ生きるのか。「悟り」の境地に至るプロセスは、何も座禅を組み、チベットに行くというだけからではないが、内省は必要。自分の裡に「仏」、「仏心」がある。すべての雑念を排してそれを見つめる。見つめるなどの意図をも排してただ見つめる。

道元禅師はただ只管打座あるのみという。

2009年11月29日日曜日

沈黙に聞き入る能力



ユリイカ 現代詩の実験 1979年11月号から
P34

吉岡 実 円筒の内側


    「言語というものが固体
    粒であると同じに波動である」

    大岡 信


1
「石や木とじかに結びついている」
子供の頃
狩野川のほとりで
ハヤ・マルタ・フナを釣り
ぼくは猿股をぬらす
日の暮つ方
ぬるぬるとしている
硬骨魚
絵はついに捕え
「存在としての自然ではなく
成長としての
自然」
そのものを知った


2
「子供は強引に成長する」
木の芽時
香實山を見れば
「とびかかって来る
緑」
ぼくは間もなく
アデノイドの手術を受けるんだ
むっとする闇のかなた
「そこに巨大な女が横たわっている
ことを想像せよ」


3
「円筒の中は静まりかえり」
猫は死にゆき
鯉も死にゆき
いずれにしても淋しい秋だ
もしかしたら
人も死んでゆく
「葡萄の房
みたいなかたち」


4
露もしとどに
裏山を越え
妹がつづらおりの径を降りてくる
「涙を浮かべない眼で
物事を見よ」
言語がはらむ
観念の内容をつきとめよ
「処女凌辱」
この文字は美しい
しかし顔をそむけよ 弟
「夢と現実の
隙間」
に潜在する
「ツクネイモ山水」
そのはるか上に懸る
「冴え冴えとした
月」
ぼくが老人だったらこのようにつぶやく
「言葉の方からのみ
人生を眺めると人生は
煙のごとし」


5
「生物と鉱物の両方が騒がしく
わき立っている
地表」
そこでの生活はつらい
「尋常の食物では
彼らを養うことは出来ない」
ぼくのはらからは
ひたすら思考し
「沈黙に聞き入る能力」
をたくわえる
頭部は巻貝のような人たちだ
「冷えすぎたハム」
この興ざめたものを嚥下す
それゆえに
「からだのなかにつねに
フォルム感覚が見えない形で
生み出される」
そのまわりに散乱する
糸屑や卵子
(言葉)
もろもろの具象を
箒やはたきをかけて
舞あがらせる
発止!
ワラ半紙一枚の聖域


6
「壁を通して
青空が見える家」
からぼくは旅に出る
桜並木の長い道がつきたところで
(点滅信号)を仰ぐ
某所から
「氷河が溶解し
世界の洪水がはじまる」



1979.10.9

2009年11月21日土曜日

And yet it moves


ふと、朝が来て、一日が過ぎて、夜が来ることの当り前さを考える。
多事多難な日常。心を占める諸事全般の差配と調整。人と人の交わり。その中で目にした自然の美しさ。
私たちは生かされているということ、「何か」 を学ぶため、悟るため。
それでも地球は回っている And yet it moves - Galileo Galilei

2009年11月7日土曜日

Last Blade


形なきものとしての思い。伝える剣の切っ先は、常に何ものかを断とうとしている。
Carl orff CARMINA BURANA 浅沼圭司訳
 
hac in hora ためらわず
sine mora 弦を鳴らし
cordis pulsum tangite, 悲しみを歌え。
quod per sortem 運命の強き一撃は
sternit fortem 力ある人すら
mecum omnes plangite. うち砕くが故に...
Sors salutis 誇り高く
et virtutis 健かなる運命は
mihi nenc contraria, ついにわがものにあらず。
est affectus われならず望み
et defectus われならず
semper in angaria; 望みを失いね。

2009年11月1日日曜日

祈り


20年前、結婚式で仲人の上司が贈ってくれた、ラインホールド・ニーバーの「祈り」という言葉。時が経過し、人生に対しては、もっと積極的な受け止め方も必要だと思っている。
O God, give us courage to change what should be changed, serenity to accept what cannot be changed and wisdom to distinguish the one from the other.
神よ、変えられない物事を受け入れる心の静謐と、変えられるものを変える勇気と、そしてその両者を見極める知恵をお授けください。
Great spirit Prayer of the Iroquois
 
東京:世田谷区砧公園(2009年11月)

2009年10月31日土曜日

陰陽


物事には表と裏、陽と陰がある。太陽があり、月がある。男があり女がある。人間の考え方については、安岡正篤先生もいうように「陽の働きたる功名心、金・位・権力・事業なども良い。だが、それと同時に陰の働きたる隠逸心・内省心が発現しうまく調和して、しかも大きく我々に抱擁されればされるほど、その人は大なる人物になってゆく。もし功名心のみならば無秩序と破壊であり、隠逸のみならば社会が少しも発展しない。普通の人間は一見相矛盾するがごとき二つの魂を統一して大きく抱擁することができずに、そのいずれかに軽々しく偏して、意気地のない、あるいは杜撰な生活をしているものである。」

易経でいう太極とは万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生じる。根源はそもそも一つでバランスも取れているものなので、一極が突出し続けるということができない。ゆっくりと、ゆっくりと。陰徳を積み続けていこう。


東京:中央区新川(2009年10月)

2009年10月25日日曜日

既視


エドガーケイシーのリーディングは、睡眠状態において第三者からの質問に、アカシックレコード(アカシャ記録)といわれる宇宙意識から宇宙の知識を引き出すことにある。大きな図書館のような場所に、必要とされる知識が整然と格納されており、それに基づいて、個人の神経の状態や各臓器や体の状態を透視し、問題の改善や治療法を口述する。

余談だが、Googleは、全世界に散在する文書・地図・画像等の情報を統合し、それを検索できるようにするという点において、地球上のアカシックレコードの作成にいそしんでいるともいえる。ただ、このような「検索」という作業については「能動的」にならざるを得ないのだが、時々私たちが感じる既視感は、そのような検索機能が「受動的」に開いて、無意識にそのような宇宙意識の中のある場面に遭遇していると考えられる。
東京:千代田区外神田秋葉原UDX(2009年10月)

2009年10月22日木曜日

残影


ただ、歩いている。足元を見ている。風を感じている。角を曲がる。秋の日差しを受ける。昨日の自分を追っている。そこで立ち止まり、振り向いた。自分の残影に出会い、永遠の隘路で溜息をついた。

東京:中央区新川日本IBM本社横(2009年10月)

2009年10月18日日曜日

寛容

 あることを「偶然」だとか「必然」だとかその時々時で感じることがある。これは、人の価値判断の中での「こうあるべき」や「こうあって欲しい」ということがまず先にあって、それを自分の都合でどちらかに寄せて理解し、結果としてそれをそのように理解することだと思う。でも、「偶然」も「必然」も所詮は人間の判断を横に置いてみると、大きな節理の中では何ら区別もない「出来事」にすぎない。


都会に住んで忙しい時間を過ごしていると、自然のリズムから離れ、「個」とか「自我」が立ちすぎて、判断が狭く小さくなってしまうことも多い。「偶然」か「必然」かという判断さえできずに、頑迷の中に陥ってしまう。公園で「子供の声がうるさいので静かにしろ」とか、学校の周りで「合唱コンクールの練習の声がうるさい」とか寛容の少なさが気にかかる。ゆっくりと、ゆっくりと。「偶然」と「必然」の織りなす綾を楽しみましょう。
東京:立川市国営昭和記念公園(2009年10月)


2009年10月12日月曜日

散歩


散歩しながら、「来し方」の掘り起こし、「行く末」への慮りをつらつらと行う。秋の風は、そこはかとなく涼しげでもあるが、小一時間も歩けば汗ばむ程の好天でもある。
夢か現か、頼りのない人生。邯鄲の夢とすると、夢からはどの場面で醒めるのか。ふと路傍の石に目をやると、それはかなり立派な自己主張のある路傍の石。「念ずれば花ひらく」とのこと。まだまだ夢の中で念ずることを求められているということか。嗚呼、人生は川の流れのごとし。泡沫(うたかた)のそれも浮きかつ沈みして休まることなく、その仕組みの中で矍鑠として醒めることなし。
神奈川:横浜市青葉区路傍の石(2009年10月)

2009年10月11日日曜日

引力


わかりやすく言うと、私たち地球上の生物は地球とともに生きているので、根幹の生存の仕組みは「引力」に左右されている。宇宙空間で蝋燭に火をともしてもあの美しい炎は生じず、空気の対流がないため、青い丸い小さな炎というか明かりが発現するという。
すべての行為や動きは引力によって制御されており、精子が卵子と結合し受精するプロセスにおいても、無重力では本来の優勝劣敗の適者生存の機能が作用しない可能性がある。

青い空、セレブレーションの風船がその青い空に消えていく。おめでとう、若い人たち。私たちは皆、地球とともに生かされているんだね。引力とともに大地に足をつけて、また明日も生きていこう。





神奈川:パルティーレ横浜ウェディングビレッジ(2009年10月)

2009年10月4日日曜日

変化②

時を経てはじめて、気がつく変化がある。日本も長期に停滞し、新たに時代を担う若い世代にもビジョンが提示できない中で、「貧困と格差」「二極化」現象など、結果の一面があげつらわれているが、根本的な変化の源泉を見つめなければその本質を見失うことになる。

今後の時代を世界とともにどう作っていくか。社会の安心と安定、夢と希望に満ちた将来への道筋、変化がポジティブサイドにシフトしていっているという実感と「思い込み」。

こういったものを一つずつ共有としていく仕組みを意識を高くもって構築していく必要があろう。簡単なことから始めることでいい。それぞれの立場でできることを考え積み重ねていく。政治・公的機関の役割も重要だが、私たち自身もそうした変化を作りだすように、日々の挨拶、礼節、思いやりをもった行動とともに実践していくしかない。
東京:東京女子大学(2009年9月)

2009年9月20日日曜日

進化

人類の進化が科学技術の進展によってはもたらされないばかりか、「壮大な合一」とは逆の「際限のない細分化」に向かっている。その中で、個別の悟りが個別の範囲を抜け出して、大きな枠組みの中で統合へのプロセスが始まろうとしている。
過去の持つ意味を再構成、再定義、再認識すること。未来の意味を壮大な合一の「意識」のもとに構造化する事。
日々を生きる、天を敬し、人を愛し生きる。これが過去と未来を超越しつつ、現在をよりよく意味づけることと同義となる。


松島:円通院(2009年8月)

2009年8月29日土曜日

変化


知らず知らずに変化への歩みを進めていることがある。いや、意識と無意識との支配時間・範囲を考えると知らず知らずに進めていることのほうが多いかもしれない。時間の使い方、意識の使い方、発生している(顕在している・潜在している)ことへの意味づけ方などが重要。人生の半分を過ぎて、さらに大きく変化していきたいとの思いをどう実現するか。 と、書いたところで時々チェックさせていただいている「アヴァンギャルド精神世界」の本日の更新に 人間である自分がないこと とのコンテンツがありました。上のコメントと平仄が合致しているので引用さえていただきました。 http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/d23489f56291afe402bbd78982cfd9e3

2009年7月4日土曜日

思うこと思いもしなかったことの兆し②

社会人になって24年。会社としては浮沈が激しく、部長として経営にモノ申し続けているがもはや限界か。10月1日以降は、新しい親会社の管理下となる。今後3年ぐらいで抜本的な変革が行われるであろうが、どっちに行くのか?成功?失敗?

何度も繰り返し読んでいる本:アセンションした文明からのメッセージ「ハトホルの書」

http://blog.livedoor.jp/longpa/archives/50865182.html

▼感情に気づく
あなたはイニシエーションを受けるためにどこへ赴く必要もありません。なぜなら、どこにいようと、この世に生きることでイニシエーションを授かっているからです。自分自身の感覚や、ものごとに対する感情反応に気づくことが重要な鍵なのです。それは気づいてはじめてバランスをとることができます。感情体と「カー」はエネルギー的につながっているため、「カー」を強化してあなたの感覚や感情を完全な肯定的気づきに向かわせることにより、みずからの進化を大幅に加速することができます。自分自身の「カー」を慈しみ、その向上に努めることがよりいっそう重要になります。