2009年12月8日火曜日

只管打座


道元禅師の後ろ姿が見えるような時・場

 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり

人が人として、なぜ生まれ、なぜ生きるのか。「悟り」の境地に至るプロセスは、何も座禅を組み、チベットに行くというだけからではないが、内省は必要。自分の裡に「仏」、「仏心」がある。すべての雑念を排してそれを見つめる。見つめるなどの意図をも排してただ見つめる。

道元禅師はただ只管打座あるのみという。

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