あることを「偶然」だとか「必然」だとかその時々時で感じることがある。これは、人の価値判断の中での「こうあるべき」や「こうあって欲しい」ということがまず先にあって、それを自分の都合でどちらかに寄せて理解し、結果としてそれをそのように理解することだと思う。でも、「偶然」も「必然」も所詮は人間の判断を横に置いてみると、大きな節理の中では何ら区別もない「出来事」にすぎない。
都会に住んで忙しい時間を過ごしていると、自然のリズムから離れ、「個」とか「自我」が立ちすぎて、判断が狭く小さくなってしまうことも多い。「偶然」か「必然」かという判断さえできずに、頑迷の中に陥ってしまう。公園で「子供の声がうるさいので静かにしろ」とか、学校の周りで「合唱コンクールの練習の声がうるさい」とか寛容の少なさが気にかかる。ゆっくりと、ゆっくりと。「偶然」と「必然」の織りなす綾を楽しみましょう。
東京:立川市国営昭和記念公園(2009年10月)
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