2009年12月24日木曜日

熱力学第二法則


エントロピーは増大する。宇宙に広がるありとあらゆる物質は絶対静止・平衡にむかって不可避なプロセスを進んでいる。

宇宙はなぜ存在するのか、そこに意思があるのか。極々微小の確率で成り立つ陽子の質量と電子の質量およびその距離のバランス。質量が大きすぎると重力で潰れ、軽すぎると電子を捕捉できず崩壊してしまう。不思議な試行錯誤と確率で存在することになったこの物質の宇宙。

エントロピーの増大の中で生物はなぜ生まれ、形を造り、エントロピーの増大の熱力学法則に対抗できるのか。エントロピーの増大を上回る速度の代謝と自己複製。そのカギとなる細胞内のミトコンドリアはもともと異物として存在しつつ、細胞内に取り込まれ、この代謝の主役となっているという。 

エネルギー総量不変の熱力学第一法則と第二法則の間で、すべての摂理と運命がバランスをとっているということなのだろう。

2009年12月13日日曜日

時間


時間の流れ、速さの認識。今年もあっという間に過ぎ去り、年末となった。

「大人の時間」と「子供の時間」の速さの差。人生の長さとの相対比較で、大人の一年は子供の一年より短いからだとか、また、すべきことや出来事が大人の方が多様・多端にあり、Concentrationが必要なため意識として時間認識が曖昧になるからだとかいわれている。

福岡伸一先生の説(「動的平衡」)によると、人間の新陳代謝速度は加齢とともに確実に遅くなり、体内時計の運針が徐々に遅くなっているから、外界標準時間の進みが相対的に速くなっていくという。

いずれにせよ、歳とともに時間の過ぎるのが速くなるということに異論を唱える人がいないようだ。そんな速くなっていく時間をいとおしんでいきたい。ゆっくりと、ゆっくりと。

2009年12月8日火曜日

只管打座


道元禅師の後ろ姿が見えるような時・場

 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり

人が人として、なぜ生まれ、なぜ生きるのか。「悟り」の境地に至るプロセスは、何も座禅を組み、チベットに行くというだけからではないが、内省は必要。自分の裡に「仏」、「仏心」がある。すべての雑念を排してそれを見つめる。見つめるなどの意図をも排してただ見つめる。

道元禅師はただ只管打座あるのみという。

2009年11月29日日曜日

沈黙に聞き入る能力



ユリイカ 現代詩の実験 1979年11月号から
P34

吉岡 実 円筒の内側


    「言語というものが固体
    粒であると同じに波動である」

    大岡 信


1
「石や木とじかに結びついている」
子供の頃
狩野川のほとりで
ハヤ・マルタ・フナを釣り
ぼくは猿股をぬらす
日の暮つ方
ぬるぬるとしている
硬骨魚
絵はついに捕え
「存在としての自然ではなく
成長としての
自然」
そのものを知った


2
「子供は強引に成長する」
木の芽時
香實山を見れば
「とびかかって来る
緑」
ぼくは間もなく
アデノイドの手術を受けるんだ
むっとする闇のかなた
「そこに巨大な女が横たわっている
ことを想像せよ」


3
「円筒の中は静まりかえり」
猫は死にゆき
鯉も死にゆき
いずれにしても淋しい秋だ
もしかしたら
人も死んでゆく
「葡萄の房
みたいなかたち」


4
露もしとどに
裏山を越え
妹がつづらおりの径を降りてくる
「涙を浮かべない眼で
物事を見よ」
言語がはらむ
観念の内容をつきとめよ
「処女凌辱」
この文字は美しい
しかし顔をそむけよ 弟
「夢と現実の
隙間」
に潜在する
「ツクネイモ山水」
そのはるか上に懸る
「冴え冴えとした
月」
ぼくが老人だったらこのようにつぶやく
「言葉の方からのみ
人生を眺めると人生は
煙のごとし」


5
「生物と鉱物の両方が騒がしく
わき立っている
地表」
そこでの生活はつらい
「尋常の食物では
彼らを養うことは出来ない」
ぼくのはらからは
ひたすら思考し
「沈黙に聞き入る能力」
をたくわえる
頭部は巻貝のような人たちだ
「冷えすぎたハム」
この興ざめたものを嚥下す
それゆえに
「からだのなかにつねに
フォルム感覚が見えない形で
生み出される」
そのまわりに散乱する
糸屑や卵子
(言葉)
もろもろの具象を
箒やはたきをかけて
舞あがらせる
発止!
ワラ半紙一枚の聖域


6
「壁を通して
青空が見える家」
からぼくは旅に出る
桜並木の長い道がつきたところで
(点滅信号)を仰ぐ
某所から
「氷河が溶解し
世界の洪水がはじまる」



1979.10.9

2009年11月21日土曜日

And yet it moves


ふと、朝が来て、一日が過ぎて、夜が来ることの当り前さを考える。
多事多難な日常。心を占める諸事全般の差配と調整。人と人の交わり。その中で目にした自然の美しさ。
私たちは生かされているということ、「何か」 を学ぶため、悟るため。
それでも地球は回っている And yet it moves - Galileo Galilei

2009年11月7日土曜日

Last Blade


形なきものとしての思い。伝える剣の切っ先は、常に何ものかを断とうとしている。
Carl orff CARMINA BURANA 浅沼圭司訳
 
hac in hora ためらわず
sine mora 弦を鳴らし
cordis pulsum tangite, 悲しみを歌え。
quod per sortem 運命の強き一撃は
sternit fortem 力ある人すら
mecum omnes plangite. うち砕くが故に...
Sors salutis 誇り高く
et virtutis 健かなる運命は
mihi nenc contraria, ついにわがものにあらず。
est affectus われならず望み
et defectus われならず
semper in angaria; 望みを失いね。

2009年11月1日日曜日

祈り


20年前、結婚式で仲人の上司が贈ってくれた、ラインホールド・ニーバーの「祈り」という言葉。時が経過し、人生に対しては、もっと積極的な受け止め方も必要だと思っている。
O God, give us courage to change what should be changed, serenity to accept what cannot be changed and wisdom to distinguish the one from the other.
神よ、変えられない物事を受け入れる心の静謐と、変えられるものを変える勇気と、そしてその両者を見極める知恵をお授けください。
Great spirit Prayer of the Iroquois
 
東京:世田谷区砧公園(2009年11月)

2009年10月31日土曜日

陰陽


物事には表と裏、陽と陰がある。太陽があり、月がある。男があり女がある。人間の考え方については、安岡正篤先生もいうように「陽の働きたる功名心、金・位・権力・事業なども良い。だが、それと同時に陰の働きたる隠逸心・内省心が発現しうまく調和して、しかも大きく我々に抱擁されればされるほど、その人は大なる人物になってゆく。もし功名心のみならば無秩序と破壊であり、隠逸のみならば社会が少しも発展しない。普通の人間は一見相矛盾するがごとき二つの魂を統一して大きく抱擁することができずに、そのいずれかに軽々しく偏して、意気地のない、あるいは杜撰な生活をしているものである。」

易経でいう太極とは万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生じる。根源はそもそも一つでバランスも取れているものなので、一極が突出し続けるということができない。ゆっくりと、ゆっくりと。陰徳を積み続けていこう。


東京:中央区新川(2009年10月)

2009年10月25日日曜日

既視


エドガーケイシーのリーディングは、睡眠状態において第三者からの質問に、アカシックレコード(アカシャ記録)といわれる宇宙意識から宇宙の知識を引き出すことにある。大きな図書館のような場所に、必要とされる知識が整然と格納されており、それに基づいて、個人の神経の状態や各臓器や体の状態を透視し、問題の改善や治療法を口述する。

余談だが、Googleは、全世界に散在する文書・地図・画像等の情報を統合し、それを検索できるようにするという点において、地球上のアカシックレコードの作成にいそしんでいるともいえる。ただ、このような「検索」という作業については「能動的」にならざるを得ないのだが、時々私たちが感じる既視感は、そのような検索機能が「受動的」に開いて、無意識にそのような宇宙意識の中のある場面に遭遇していると考えられる。
東京:千代田区外神田秋葉原UDX(2009年10月)

2009年10月22日木曜日

残影


ただ、歩いている。足元を見ている。風を感じている。角を曲がる。秋の日差しを受ける。昨日の自分を追っている。そこで立ち止まり、振り向いた。自分の残影に出会い、永遠の隘路で溜息をついた。

東京:中央区新川日本IBM本社横(2009年10月)

2009年10月18日日曜日

寛容

 あることを「偶然」だとか「必然」だとかその時々時で感じることがある。これは、人の価値判断の中での「こうあるべき」や「こうあって欲しい」ということがまず先にあって、それを自分の都合でどちらかに寄せて理解し、結果としてそれをそのように理解することだと思う。でも、「偶然」も「必然」も所詮は人間の判断を横に置いてみると、大きな節理の中では何ら区別もない「出来事」にすぎない。


都会に住んで忙しい時間を過ごしていると、自然のリズムから離れ、「個」とか「自我」が立ちすぎて、判断が狭く小さくなってしまうことも多い。「偶然」か「必然」かという判断さえできずに、頑迷の中に陥ってしまう。公園で「子供の声がうるさいので静かにしろ」とか、学校の周りで「合唱コンクールの練習の声がうるさい」とか寛容の少なさが気にかかる。ゆっくりと、ゆっくりと。「偶然」と「必然」の織りなす綾を楽しみましょう。
東京:立川市国営昭和記念公園(2009年10月)


2009年10月12日月曜日

散歩


散歩しながら、「来し方」の掘り起こし、「行く末」への慮りをつらつらと行う。秋の風は、そこはかとなく涼しげでもあるが、小一時間も歩けば汗ばむ程の好天でもある。
夢か現か、頼りのない人生。邯鄲の夢とすると、夢からはどの場面で醒めるのか。ふと路傍の石に目をやると、それはかなり立派な自己主張のある路傍の石。「念ずれば花ひらく」とのこと。まだまだ夢の中で念ずることを求められているということか。嗚呼、人生は川の流れのごとし。泡沫(うたかた)のそれも浮きかつ沈みして休まることなく、その仕組みの中で矍鑠として醒めることなし。
神奈川:横浜市青葉区路傍の石(2009年10月)

2009年10月11日日曜日

引力


わかりやすく言うと、私たち地球上の生物は地球とともに生きているので、根幹の生存の仕組みは「引力」に左右されている。宇宙空間で蝋燭に火をともしてもあの美しい炎は生じず、空気の対流がないため、青い丸い小さな炎というか明かりが発現するという。
すべての行為や動きは引力によって制御されており、精子が卵子と結合し受精するプロセスにおいても、無重力では本来の優勝劣敗の適者生存の機能が作用しない可能性がある。

青い空、セレブレーションの風船がその青い空に消えていく。おめでとう、若い人たち。私たちは皆、地球とともに生かされているんだね。引力とともに大地に足をつけて、また明日も生きていこう。





神奈川:パルティーレ横浜ウェディングビレッジ(2009年10月)

2009年10月4日日曜日

変化②

時を経てはじめて、気がつく変化がある。日本も長期に停滞し、新たに時代を担う若い世代にもビジョンが提示できない中で、「貧困と格差」「二極化」現象など、結果の一面があげつらわれているが、根本的な変化の源泉を見つめなければその本質を見失うことになる。

今後の時代を世界とともにどう作っていくか。社会の安心と安定、夢と希望に満ちた将来への道筋、変化がポジティブサイドにシフトしていっているという実感と「思い込み」。

こういったものを一つずつ共有としていく仕組みを意識を高くもって構築していく必要があろう。簡単なことから始めることでいい。それぞれの立場でできることを考え積み重ねていく。政治・公的機関の役割も重要だが、私たち自身もそうした変化を作りだすように、日々の挨拶、礼節、思いやりをもった行動とともに実践していくしかない。
東京:東京女子大学(2009年9月)

2009年9月20日日曜日

進化

人類の進化が科学技術の進展によってはもたらされないばかりか、「壮大な合一」とは逆の「際限のない細分化」に向かっている。その中で、個別の悟りが個別の範囲を抜け出して、大きな枠組みの中で統合へのプロセスが始まろうとしている。
過去の持つ意味を再構成、再定義、再認識すること。未来の意味を壮大な合一の「意識」のもとに構造化する事。
日々を生きる、天を敬し、人を愛し生きる。これが過去と未来を超越しつつ、現在をよりよく意味づけることと同義となる。


松島:円通院(2009年8月)

2009年8月29日土曜日

変化


知らず知らずに変化への歩みを進めていることがある。いや、意識と無意識との支配時間・範囲を考えると知らず知らずに進めていることのほうが多いかもしれない。時間の使い方、意識の使い方、発生している(顕在している・潜在している)ことへの意味づけ方などが重要。人生の半分を過ぎて、さらに大きく変化していきたいとの思いをどう実現するか。 と、書いたところで時々チェックさせていただいている「アヴァンギャルド精神世界」の本日の更新に 人間である自分がないこと とのコンテンツがありました。上のコメントと平仄が合致しているので引用さえていただきました。 http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/d23489f56291afe402bbd78982cfd9e3

2009年7月4日土曜日

思うこと思いもしなかったことの兆し②

社会人になって24年。会社としては浮沈が激しく、部長として経営にモノ申し続けているがもはや限界か。10月1日以降は、新しい親会社の管理下となる。今後3年ぐらいで抜本的な変革が行われるであろうが、どっちに行くのか?成功?失敗?

何度も繰り返し読んでいる本:アセンションした文明からのメッセージ「ハトホルの書」

http://blog.livedoor.jp/longpa/archives/50865182.html

▼感情に気づく
あなたはイニシエーションを受けるためにどこへ赴く必要もありません。なぜなら、どこにいようと、この世に生きることでイニシエーションを授かっているからです。自分自身の感覚や、ものごとに対する感情反応に気づくことが重要な鍵なのです。それは気づいてはじめてバランスをとることができます。感情体と「カー」はエネルギー的につながっているため、「カー」を強化してあなたの感覚や感情を完全な肯定的気づきに向かわせることにより、みずからの進化を大幅に加速することができます。自分自身の「カー」を慈しみ、その向上に努めることがよりいっそう重要になります。

2009年5月17日日曜日

思うこと思いもしなかったことの兆し①

思うこととは、仕事、家庭、友人関係、いろいろ思い考え、一喜一憂すること。一方、思いもしないタイミングで必要なことが目の前に展開されることの偶然性と必然性とは?最近、「死の棘」を読みましたが、極めて偶然のタイミングに手にした。20年以上書棚にあったのを、5月上旬(GW)の帰省の時間の隙間で手にしたもの。精神病(分裂症)の症状を徐々に悪化させていく妻と小説家のS。対人の取り扱いの訳のわからない不手際。幾度も放擲しようとしつつ、読み進めざるを得なかった、小説家の16年間かけ(S35~S51)完成させた重い「私小説」。あえて読む必要はなかったかなぁと思いながらも、書かれた時代と現在の大きな変化。また、現時点の自分の家庭環境の幸福さを改めて認識した。すぐれない夫婦関係の友人のKとかにも教えてあげたいが、こんな重い小説を読む人もあまりいないだろうなとも思う。

2009年4月18日土曜日

ブログ開始します。

敬天愛人(けいてんあいじん):天を敬(うやま)い、人を愛すこと。西郷隆盛が好んで使い、揮毫した言葉です。どのような経緯か、「南洲翁遺訓」という古書が家の書棚に昔からありました。1997年12月末に海外勤務を終え、帰国する機内で際に何とはなしに読んでいた日経に文章が抜粋されており、その存在を思い出したわけです。それ以来十年、世の中が一周した感があります。この言葉と西郷さんの考え方を再考する機会が多くなってきています。


(西郷隆盛のホームページ)
http://blogs.yahoo.co.jp/hori50tokyonerima