2010年3月28日日曜日

弓を引く8つの動作


足踏み:正しく足場を固める

胴造り:重心をしっかりと中心に置き弦の位置と矢の方向を確認し、息を整える

弓構え:的をしっかりと見定めて弓を構えようとする

打起し:弓構えの位置からそのまま静かに両拳を額の上に上げる

引分け:左右均等に力を入れ打起しの位置から弓を引く

会:力を入れすぎず最も弓を張った状態にする

離れ:胸を広く開いて矢を発する

残心:矢を発し、姿勢を変えず矢の行き先を中止する

2010年3月21日日曜日

書くということ

 20年来使い続けているシステム手帳に書き留めておいた「言葉」の整理。体系的なものには程遠いが、過去の認識を追認し、再度書き直すことにより判ることも多い。

1.自己とは何かという認識(Sein から Sollen へ)
牛が逃げたと自覚した人は、牛を探し求めざるを得ない。ソクラテスの「無知の知」、西田幾多郎の「善の研究」

2.真理に到達する4つの段階

 ① 良き師(善知識)に出会う
 ② 教えを正しく聞く(正聞)
 ③ 聞いたことを理に従って考える(如理作意)
 ④ 真理に到達する(涅槃と菩提)

3.第三の眼 - 肉体と心とをいわば止揚した何ものかが真理を見る 自分自身を見る

 肉眼(にくげん)、天眼(てんげん)、慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)、仏眼(ぶつげん)

4.念(ねん)・定(じょう)・慧(え)の心

 Yoga ヨーガ      分離した身体・心を結びつける
    ↓           息に自分自身がなりきる
 止・観の二つの心           ↓

 息という自分の一部を通じて、自分に遍満する宇宙の真理に到ることができる

5.貪(どん)・瞋(しん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見

 貪:むざぼり 瞋:いかり 癡:ほうけ 三毒 6つの根本煩悩
 20の随煩悩

6.種子

 名言種子(みょうごんしゅうじ) - ことば
 業種子(ごうしゅうじ) -未来世 阿頼耶識
 本有種子(ほんぬしゅうじ)
 新薫種子(しんくんしゅうじ)

2010年3月7日日曜日

パラダイム・シフト

 釈迦は「シンサパーの葉」を数枚手にとって、世の中にはこの森全体の葉の数よりも多い葉があるが、我々が知っていることはこれだけである、と言って数枚の葉を見せた。現代ではケン・ウィルバーはホロンの階層には上にも下にも無限に続いていると言っている。時間は「始まりが無く、終りも無い」あるのは「今」だけで、過去も未来も永遠なのです。
 これから起きるであろう巨大なパラダイム・シフトは、古いパラダイムを否定せず、そのまま認め、従来のパラダイムを包含しながら、それとは全く異なる別世界に新しい枠組みを構成する形で出てきている。そのため革命の必要もなく、古いパラダイムを否定する必要もない。従って戦争、流血騒ぎを起こす必要はない。しかし、心なき人達は流血を起こしたがる。また、古いパラダイムの人は新しいパラダイムを恐れて、自己防衛のため、戦争をしかけてくる場合も考えられる。

 なぜこのような巨大なパラダイム・シフトが進行するのか。その理由は人間が進化・変容しているからである。人間の精神的構造が変わり、今とは異なる精神を持ち、考え方の違う人間が多数を占めるようになるはずである。どのように進化するのか、その分析は、今の学問体系ではトランスパーソナル心理学という分野に展開されている。その代表格の論客がケン・ウィルバーである。
 マズローは、人間性心理学を創設し、欲求5段階説を唱えた。生理的欲求から、最高の自己実現の上に自己超越欲求を加えた。ケン・ウィルバーは「アートマン・プロジェクト」で、人間の精神的成長の過程を分析した。そして、自己超越をしたレベル、即ちトランスパーソナルのレベルの最終にアートマンを据えた。人間の一生は自己超越を達成し、最終目標のアートマンを目指して進むことにあると解釈できる。これからの世界はトランスパーソナルのレベルに到達する人間が植えるということで、そうすればパラダイムは完全に変わってくる。これが巨大なパラダイム・シフトである。

 巨大なパラダイム・シフトの時代には、常に、反逆者、犯罪人、異常者等が多発し、それが目につく現象となる。しかし、世の中の趨勢はそれらの厄介者を背負い込みながら、深く、静かに、確実にパラダイム・シフトを進行させている。 

2010年3月5日金曜日

科学と宗教の統合

微細魂レベル、菩薩レベルの道徳には特徴として、一切衆生のために悟りを得ようという深い志が含まれる。魂の深みから自然に湧き起こってくるこの並みはずれた志は、一切衆生が神なるものの直接的顕現であり、それゆえ自らの<存在>のもっとも深い部分、大いなる自己として過ごすべきだという認識の成熟に基づいている。

元因霊レベル、賢人レベルの道徳は、あらゆる存在は常にすでに永遠に自由であると悟ることによって、一切衆生を開放したいという逆説的な大志を含む。このようなすべての顕現の根本的に自己解放的な性質を直接的に認識することが霊的科学のもっとも崇高な(そして逆説的な)部分を背後で支えており、<スピリット>の時間を超越した自由な性質を自己確認的に立証するものになっている。