2010年1月31日日曜日

西郷南洲遺訓

万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を努め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行なはれ難し。
租税を薄くして民を裕にするは即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐げぬもの也。
会計出納は制度の由って立つ所、百般の事業皆これより生じ、経綸中の枢要なれば、慎まずばならぬ也。その大体を申さば、入るを量りて出ずるを制するの外、更に他の術数なし。
節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決してあらず。西洋各国同然なり。上に立つ者下に臨みて利を争い義を忘るる時は、下皆これに倣ひ、人忽ち財利に趨る。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ也。

2010年1月24日日曜日

自己の変容


 瞑想とはエネルギーの真髄である。このエネルギーは葛藤ありとあらゆる不必要な思考、感情的な追求、感情的な行動によって消耗されている。エネルギーは<私>と<私でないもの>という二元性、観察者と観察されるもの、思考者と思考の分離という二元性の中で起こる葛藤に使われてしまう。 
 この浪費浪費が完全になくなった時に「気づき」と呼べる、あるエネルギーの質があります。
 気づき―それは、評価も判断も非難も比較もなく、ただ注意深く観察すること。内と外のものを過去である思考の干渉なしにありのままに正確に見ることです。


クリシュナムルティ対話集

2010年1月19日火曜日

意識


 人間として生きる=「存在すること」と「行動すること」の各プロセスにおいて、「意識」と「無意識」は重層的に人生に影響を与え、また、他の人間との関係においても相互作用的に機能する。
 「存在する」というレベルでは、逆説的に「意識」は働かない方が恒常性を維持できるかもしれない。世代間を主として存続する生物としての生命維持の機構は、主として無意識として機能しているということもある。「行動する」というレベルでは、無意識に行動するという表現もあるが、意識が格段に機能していなければ統合的には失調に陥ってしまう。また、人と人との関係においても「意識」的に限らず、「無意識」的にもお互いの思いが伝わったり、理解につながるということも多い。
 このように表現される意識・無意識とは何か整理してみる。仏教の唯識思想、「唯識三十頌」では、前五識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)という意識のほかに無意識とも解釈できる末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という深層意識層を想定した。(八識説)http://bit.ly/63xMSq (Wikipedia 無意識とは)
 意識しているとは、「私自身が意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解されるもの」として、自我と同一視されている。この「自明的」というのが、何をどう客観的に定義できるのかが堂々巡りの出発点となる。私を私として定義するのが私の意識・自我ということであれば、ぐにゃぐにゃな物差しで物差し自身を測らなければならないという困難に直面する。

 さらに問題を難しくするのは、定義できない「意識」のさらに周縁部にとらえどころのない「無意識」があり、また、それが深層では「個人的無意識」と「集合的無意識」によって形成されているということだ。フロイトやユングの理論における「無意識」は「意識」すら明確に定義できない中では、参考となる考え方というにすぎない。この潤沢な曖昧性において、宗教や哲学が活躍するなかでの余地があったわけである。

 人知を超える理解および証明不能の事象をとらえるとき、人は藁にもすがるというか、それ以外には解はないとしての「神」の存在を持ち出してくる。そうでなければ、自分の中に「仏性」を見出そうとし、悟りを求める。
 結局は、「知らないということを知っている私は、知らないということも知らないという他者よりもすぐれている」というソクラテスの「無知の知」のパラドックスから抜け出ることはできないということか。ただし、神学者や仏教者の想定する「神」や「無の悟り」が実際にあって、それを把握できるチャンスはないわけではない。人はいずれ死ぬが、その際に「意識」・「無意識」すらもなくなり、「集合的無意識」に実体のない存在として触れることがあるか、ということだ。これもやはり証明は難しい。

2010年1月17日日曜日

十牛図 - Ten Cow Map


悟りのそれぞれの発展段階を牛と人との関係において絵として表現している「十牛図」。悟りとは一定の状態を保てるわけではない。

1.尋牛(じんぎゅう)
牛が逃げているとは、なぜ牛が逃げたのか。なぜ牛を探し求めなければならないのか。なぜ一人で牛を捜すのか。

2.見跡(けんせき)
牛の足跡とは何か。言葉の奴隷となるな。中を見る。

3.見牛(けんぎゅう)
何が見えるのか。牛が隠れているとは。

4.得牛(とくぎゅう)
牛をつかまえる綱とは何か。牛が暴れているとは。

5.牧牛(ぼくぎゅう)
荒牛をならすとは。

6.騎牛帰家(きぎゅうきけ)
牛にまたがっているとは。楽しげに笛を吹いているとは。

7.忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)
牛がいなくなったとは。のんびりうたた寝しているとは。

8.人牛倶忘(じんぎゅうくぼう)
なぜ空一円に飛躍する必要があるのか。空一円相とは。

9.返本還源(へんぽんげんげん)
自然に生きるとは。

10.入てん天垂手(にってんすいしゅ)
人を愛するとは。

http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_46.htm (服部健治さんのWebサイト)

2010年1月8日金曜日

ホロン - Holon


部分であるが全体としての性質を持ち、上下のヒエラルキーと調和し、機能する単位。全体を構成する要素がそれ自体、全体としての構造を持つ場合の、要素(部分)としてのひとつの全体。「全体子」とも言う。例えば、人体という全体を構成する要素(部分)である細胞も、各々の全体としての構造、機能をもっており、ホロンであると言える。
☆☆ 12の原則 ☆☆
1.リアリティを構成するのは、モノでもプロセスでもなく、ホロンである。
2.ホロンは四つの基本的な力を持っている。自己保存、自己適応、自己超越および自己分解の力である。
3.ホロンは発生する。
4.ホロンはホロン階層的に発生する。
5.発生したホロンは先行するホロンを超越し、包括する。
6.低位のホロンは高位のホロンの可能性を定め、高位のホロンは低位のホロンの確率性を定める。
7.階層が包含するレベルの数が、深いか浅いかを決定する。そして所与のレベルにおけるホロンの数を幅(スパン)という。
8.連続的に発生する進化は、より深い深度と、より狭い幅を持つ。
9.どのレベルのホロンを消去しても、それより上のホロンはすべて消去され、それより下のホロンは消去されない。
10.ホロン階層は、共進化する。
11.ミクロは、深度のあらゆるレベルでマクロと相関的な交換を行う。
12.進化は方向を持つ。
Ken Wilber 「進化の構造」 http://bit.ly/7feQA2

2010年1月1日金曜日

創造


万事生成消滅のプロセスと自律的・不可逆的コントロール。地球の自転や引力などの大きな力。それをどのようなことか理解し意味づけることの大切さ。

創造の輝きに沿って自然に生きよう。Seer(鑑賞者)としての素質をさらに磨いていこう。
身の周りのことから本質的なことまで、草木の生育から月や星の動きまで。「陰」と「陽」の意識。感謝と行動。