2010年9月20日月曜日

事随心

事随心

事は心に随う

心の在り方が、事々の在り方を決める、または事は心の在り方に由り、自然と決まってくる。

心の在り様について ‐ 対比

高・低、動・静、顕・隠、正・邪、正・負、強・弱、優・劣、有・無

心の定義もしてきたが、心・意・識の一つのフェーズとして、また、アスペクトとしての在り方があり、それがさらに形而上的な「事」つまり「現」および「顕」の在り方にも必然に近い規定をもたらすことがある。

自らの心の在り方を対比によって、よくよく自浄することが必要となる。

2010年9月5日日曜日

釈尊の教え

道人の道を行ずるには、当に本を念ずべし。何等をか本と為す。謂く、心・意・識を是を本となす。この三事皆見えず。生じ己って便ち滅し、本の意は優に生ぜず。是の意を得るを是を道と為す。本の意が己に滅すれば、痛みは無くなる。更に因縁の生ずることあらば便ち断つ。

仏に六潔意あり。謂く、数息、相随、止、観、還、浄なり。この六事は能く無形を制す。

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心の世界、意識の世界、無意識の世界という相互に一体化し、出入りがある世界の体系。これの中で自己という境界があるものを認識しつつも合一化させるプロセスおよび結果が「悟」ということになる。悟りが自分から離れていないかということは「心」と「意識」の世界の葛藤であり、この葛藤自体も忘れ去り、唯在ることに在るということが悟の姿である。無形を制すとは、即ち形のないものと一体になるということ。

2010年9月4日土曜日

位相

 現在の自分の位相を感じること。想定通りに進化しているか、時間価値の無限なる大きさに気がついているか、狭いビジョンに留まり息苦しくなっていないか。

 瞑想および超越へのプラクティスから離れていないか、自分自身が誰であるのかを思い出すことから逃げていないか。

 光明が現れ、世を照らすことに疑いを抱いていないか。