2010年2月27日土曜日

自心・仏心・如来心












真言宗東覚寺 門前の言葉(2月21日)

自心を知るは即ち仏心を知る
仏心を知るは即ち衆生の心を知る
衆生の心は即ち如来の心
この三心 平等を知るのが大悟

2010年2月21日日曜日

西郷隆盛像 政の大体


2010年2月21日(日) 谷中七福神を訪ねる小旅行を思い立つ。田端駅から七福神を順次見て回り、そして最後に上野恩賜公園の西郷隆盛像に辿り着く。

昨年4月より「敬天愛人」との西郷南洲翁の座右を拝借し、ブログを開始してから、翁の足跡をたどるための鹿児島旅行を試みるもまだ果たせずにいた。今回は当初の想定にはなかったが、小旅行の最後に西郷像を拝むことになったのも何かの奇遇か。

(南洲翁遺訓より)
政の大体*は文を興し武を振い農を励ますの三つに在り、その他百般の事務は皆この三つの物を助るの具なり。この三つの物の中に於いて、時に従い勢に因り施行先後の順序は有れど、この三つの物を後にして他を先にする更になし。

大体*:本質











敬天愛人 西郷隆盛と銅像の由来

西郷隆盛は文政十年(1827年)12月7日薩摩藩士として鹿児島治屋町に生まれた。通称吉之助、南州はその号である。
若くして薩摩藩主島津斉彬に重用され、幕末内外多難の際、大いに国事に奔走したが、これに関連して奄美大島に流されること2回。
元治元年(1864年)許されて京都に上るや、朝廷の意を重んじて一旦は長州を敵としたが、後、木戸孝允と謀って薩長連合を結成し、慶応3年(1867年)12月ついに王政復古の大業を成就、その後も官軍の参謀として、大功を樹て、明治維新の基礎を確立した。
その間、高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟の請を容れて江戸城の無血開場を実現、江戸を戦禍から救ったことはあまりにも有名である。その後は、故郷に隠遁したが、明治4年(1871年)正月、三条実美以下新政府首脳の懇請を受けて上京、参議に就任し、廃藩置県その他近代国家建設のための主導的役割を果たした。
然るに、明治6年6月いわゆる征韓論が閣議に上るや断固反対して、大使派遣による平和的修交を主張し、内治優先論を固執する岩倉具視、大久保利通等の反対に敗れて辞官帰郷。私学等を興して後年青年の育成に努めた。
明治10年2月当局者の謀に激した私学校生徒に推せられて西南の役となり、転戦7ヶ月余り、ついに敗れて城山に自刃した。9月24日享年51才。
そのため一時逆賊とされたが、明治22年2月、明治天皇の特旨により賊名を除かれ、正三位を追贈された。
この銅像はこれに感激した隆盛の旧友、吉井友美が同志と共に追慕の情を表すべく建立を計画したものであり、御下賜金のほか有志2万5千人の醵金を得て、明治26年起工、同30年竣工、我が国彫刻界の巨匠高村光雲の作である。
西郷隆盛の偉大な功業は、その信条たる敬天愛人の精神に発した仁愛と至誠没我の所産であり、日本の代表的偉人として今なお敬慕される所以は実にここにあるのである。

2010年2月18日木曜日

変容

生態系の、経済の、そして金融の危機的な問題は、世界の変容を必要とする決定的に重要な要素であるが、それらはすべてそれに対応する人間の意識の集団的変容の上に築かれるということを忘れないようにしたい。地球的な包容、多元的な世界連合は、普遍的、地球的なビジョン・ロジックを持った個人によってのみ、展望され、理解され、実行されうる。
そこで欠乏しているとされるのは、物質-経済的な不足だけではない。そうではなくて、そこでは人生の意味が、もはや自己、部族、人種、国家の中には見出すことができないのである。そこでは生存のために苦闘し、より深い、より真実な明日を望んでいる非常に小さな惑星の心臓の鼓動が伝わり、共通の人間性という血が流れる世界中心的な包容のなかに、そのコンテキスト、セラピア、オメガが解放を発見することに人生の意味が見出されるのである。
個人の発達で、一定の段階に達した時点では、「無形」のものへの急激な跳躍(エッグハルトの言う「突破」)がいつでも起こりうる。発達が高次に達するにつれて、跳躍はよりたやすく、起こりやすいものとなる。しかし、「無形」のものそれ自体は、跳躍の結果でもなければ、それによって現れるものでもない。それは、今、ここに、最初から、「本来の面目」としてビッグバン以前の顔として、あったのである。その顔は、すべての宇宙の一切の衆生からお互いに、単なる自己認識としてでなく、大いなる「自己」をお互いの中に認識するために見守っているのである。
空性として留まり、形態を包容する。真の開放は空性のなかにあり、決して形あるもののなかにはない。(もっとも二つは決して離れたことはないが)。こうして私が例えば突然、終わりなき形あるものの道を離れて、形ないものに自己を見出し、最高善(スムムボヌム)を実現したとしても、それでも、それでも形あるものは、心霊へ、微妙へ、そして何億とあるつねに、つねに獲得可能な形ある宇宙へと続いていく、止むことなく、終わることなく、劇的に。

2010年2月6日土曜日

死にいたる病

キリスト者だけが、死にいたる病の何かを知っている。
人間が自己であり、自分自身にかかわる関係であるというのは、人間が一つの統合であるからである。それは無限と有限、時間と永遠、自由と必然の統合である。また、死にいたる病とは絶望であるとキルケゴールは書く。

この自己の必然の統合を現実的なものとしてとらえることは通常では困難であり、人は絶望と同義となる五蘊盛苦(ごうんじょうく)や四苦八苦の認識世界からは逃れ難い。さらに、死を選ぶ根拠がその理由如何やその規定如何によってどのように表現されようとも「絶望」ということとして説明される。

神のもとに存在の秩序を保ち、おのおのの人間が個別的な人間であることを意識する、そして「我思う、ゆえに我あり」とする。そのキリスト者としての我は、すでに死すら恐れないということ。
アプローチがキリスト=神から「許され」、それを知るキリスト者となることで生たる人の悩み=絶望の開放ができるということ。仏教の悟りから死を超越するというアプローチとは逆であるが、結果は同じことにつながるということだろう。

(四苦八苦)
生 老 病 死
愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五蘊盛苦
(五蘊盛苦)

自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで苦しみが次から次へと湧き上がってくること。

○色(しき) =すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であることために起こる苦しみ
○受(しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
○想(そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
○行(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
○識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能